情熱ものづくりインタビュー
株式会社北條製餡

魁(さきがけ)る精神で“あん”の可能性を追求する

株式会社北條製餡 代表取締役 北條久嗣

第五回目の社長インタビューは、モンドセレクション金賞を10年連続で受賞されている株式会社北條製餡の北條久嗣社長にお話を伺いました。

魁(さきがけ)る

――――株式会社北條製餡の創業からの歩みをお聞かせください。

1950年、先々代(祖父)が京都市伏見区で製餡業を創業しました。この頃、近くに総本家駿河屋さんがあり大変お世話になったと聞いております。他にも“あん”を通じて出会ったたくさんの方々に支えられ今日に至りました。

枚方には1954年に工場を設けました。既存のあんこ屋さんが多い京都に比べ、大阪の方が和菓子文化としては参入の余地があるのではないかと考えました。

その後、1958年に業界初の“アイスクリーム用あん”の開発に成功、取引先を拡大、枚方が交通の便に恵まれ便利になったこともあって、長尾家具町に新工場を設け本社を移転しました。

――――“アイスクリーム用あん”の開発は業界初であったとうかがいました。そのきかけや苦労などお聞かせいただけますか?

暑い夏は饅頭が売れない、その原料である“あん”も売れません。そこで、クローバー乳業(現ロッテアイス)さんに使ってもらえる“アイスクリーム用あん”を開発しようと考えたのです。

しかし、食品衛生の知識をもたず、アイスクリーム製造の工程すら知らない。知識を得ようにも文献もない。図書館に通い、クローバー乳業さんの試験室に出向き教えてもらい、大阪府衛生研究所の方々の力をお借りしながら、なんとか「あずきアイス」に使用できる“あん”が誕生しました。好評を得た勢いを持って協同乳業(現名糖)さんへの納入にも成功しました。

ただ、苦労はこれだけではありませんでした。今では設備が整っていますが、その頃は細菌増殖を懸念し納入先の作業時間に合わせて製造するため徹夜作業が続き、従業員にとって過酷な長い長いひと夏でした。

先駆ける者であるがゆえの試練でした。

その後も“あん”のスペシャリストとして、チャレンジ精神(当社では「魁(さきがけ)る精神」と呼ぶ)を持って“あん”の開発に取り組んでいます。

“あん”の可能性を追求し続けて

――――その他に独創的な“あん”はありますか?

ムースホイップあんの開発にも成功しています。

――――その特長は?

製法特許を取得しており、ムースのような気泡性が特徴で、ふんわりした口当たりです。一般的な生クリームに比べてカロリーが半分近くまで抑えられて、女性にも喜ばれる人気のヘリシーホイップあんです。

――――モンドセレクション金賞も10年連続で受賞されてますね?

つぶあん北海小倉48と、北海道産小豆の甘納豆で受賞しています。

――――そのこだわりは?

北海道十勝平野の高島農業協同組合の農家さんが丹精込めて作られた小豆だけを使っています。高島地域は昼夜の寒暖の差が大きく、うま味がぎゅっと詰まった小豆が育ちます。さらに砂糖も北海道産の甜菜が原料のビートグラニュー糖を使用し、まろやかな甘みの大地の恵みが存分に味わえます。

北條製餡と関わりを持ててよかったと思っていただける会社を目指す

――――現在、社内で取り組んでいることがあれば教えてください。

「やらせる仕事でもなく、やらされる仕事でもない」 その考えから経営計画の中で「考えることのできる組織」を目指しています。あらゆる社員が目標を持ち、目標に向かって自ら考え、責任を持って行動することを実践しています。

その土台作りとして、様々な社員教育を積極的に行っています。厳しいこともありますが、人生の大部分の時間を過ごす会社での仕事にはやりがいと誇りをもってほしいと思っています。

――――今後のビジョンをお聞かせ下さい。

“あん”は和菓子・パンだけではなく洋菓子や惣菜関連へと、まだまだ用途を拡大できると考えています。長年にわたり培ってきた技術と経験をもとに、これからも素材本来のおいしさと魅力を活かし高品質にこだわった“安心・安全でおいしいあん”をお届けしていきます。

そして、社員その家族、お得意様、納入業者、近隣住民の皆様などに、北條製餡と関わりを持ててよかったと思っていただける会社を目指しています。特にこの思いを強くしたのは東日本大震災のときです。大地震後、皆様に待ち望まれて復旧、復興した会社を見たときでした。

――――最後に、座右の銘についてお聞かせ下さい。

和して敬する(相手を敬えば和になる)です。

――――お忙しいなか、貴重なお話をいただき、ありがとうございました。

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